喪服の記憶 |
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2008.09.12 |
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今日は先月、お亡くなりになった岩崎通子先生(半床庵の岩崎源先生の奥様)の 四十五日、忌明けの法事でした。 本堂で、お経を上げたあと、 坐忘軒(茶室)に於いて、お茶会。 それで喪服を着たのでした。 といっても、略装です。 単衣の一つ紋の栗色の色無地に、黒の帯。 帯締めの房は下になるよう、いつもと逆に挟みました。 そういえば、この黒の帯を最初に締めたのは、 父の一周忌のときだったような気がします。 そのときはきものも五つ紋の黒でした。 黒のきものというのは、若い女性が着ると、 ぽーっと色香が漂うものだそうです、 当時、私は22歳。 うーん、でも、色香はなかったな、私のことだから^^; 最近、思い出語りばかりですね。 なので、 「死ぬのはまだ早いですよ」という読者メールをいただいてしまいました。orz もちろん、そんなつもりはさらさらありません。 けど、過去に今、取り憑かれているアソウです。 たぶんきものの本の執筆で、 この30年のことを、きものを通して、 洗いざらい思い出したからだと思います。 書くことは過去を活性化させる。 やさしい想い出ほど怖いね。ウソが透けて見える。 うしろの正面、だーれ!? (そんな詞を書いたことがあったような……) もとい。居ずまいを正します。 ご法要の茶会。 とても和やかなものでした。 お茶菓子は通子先生の3人のお子さんたちのお手製。 上品な蒸し菓子。50個も作ったんだそうです。 遺伝子情報だけでなく、おもてなしの心も しっかりお子さん方に受け継がれていて、 あ、先生は生きている、なんて思ったのでした。 ![]() 携帯で撮りました。 呼吸を司る脳神経が腫瘍に侵され、 呼吸が停まり、誘われるようにして、心臓が停まった。 肺も心臓も若々しいのに、心肺が停止するという、不条理。 最期はそういうことだったようです。 黒いリボンと大徳寺白の木槿がいちりん。 合掌。 ![]() 携帯で撮ったものです。もちろん許可、いただきました。 |








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